であったヒト

コワイ人

まだ、数回しか会ったことのない人から、
「みうらさんって、○○さんに似てるよね?」と笑顔で言われた。
久しぶりの女子声(甲高い声)で即答する私。
「えっ!? 私が? ○○さんに?似てるんですか?……どこがぁ!!」

今年一番のショックだった。
○○さんとは、同年代だけれど、とても貫禄のある女性で、
簡単に言ってしまえばトラブルメーカー的な人、だと伝え聞いている。

「自分は正しい!」という確固たる持論があって、少しでも違う人とはぶつかってしまう。
それでも本人は周囲の混乱に気づかずに、至って平然としている。
なんて噂ばかり流れてくるから、話したこともない人だった。

その○○さんに、私が似ているのだと、その人は笑いながら言う。
何が一体おかしいんだろう。どこが似ているんだろう。

本当に動揺しながら、共通点とやらを問いただすと、
「厳しいこと言うこととか・・・」
と、やっぱり“ウヘヘ”笑いを浮かべているのだ。

そうだったのか。そういう風に思われるのか。
しばし沈む。

○○さんと話したこともなく、失礼であることは分かっていたものの、
厳しい人とイメージしていた人の、厳しい点が似ているというのは、本当にショックやった。

たしかに、
仕事をしている後姿が怖くて話しかけられなかった、とか、
集中してパソコンを打っているときや、真剣な話をしている時に、「顔怖い」と言われることはあるし、
「あまりに本音言っちゃったヮ♪」と思うことも再々ある。

けれどそれが、○○さんと同様に、周囲に混乱をまねき、トラブルメーカーと認知されているとしたら…、
コリャ、大変!

もしも、自分の言論で誰かを傷つけているのなら、改めないといけない。
と考えた後、ちょっと待てよと考える。

私が言う、「厳しいこと」って、本音を伝えている部分のはず。
わざと喧嘩売ってるわけじゃないし、傷つけようとしてるわけでもない。
当然、相手をみて表現を選んでいるつもり。
そんな考えすら、○○さんと同様の「私は正しい!」の持論なんだろうか……。

といって、本音を変えるなんて出来ないし、
周りからの見られ方を気にして良い人ぶれる歳でもない。
それとも、私の本音は、そんなに怖いのか?
とドウドウ巡りが始まってしまった。

……ま、とりあえず。
こういう本音をポロッと言ってくれる人は大切な存在だと思う。

ということで、私も本音を言える人でいたい。
時と場合と相手を見ながらね。

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山で生きる人、山を降りた自分

先日TV放送していた、登山家・山野井泰夫婦のドキュメンタリーをみた。

後半のクライミングシーンの迫力には、「ウワ!ヒョエ!オトロシヤ!!」と直視できないほど。
本当に自分も、こんな恐ろしい遊びに夢中になっていたのかと驚いた。

というものの、みている内に体が思い出してくる。
岩壁にしがみつき次なる一手を探る感触、落ちる恐怖とその弱さを超えたい緊張感、休憩中の自然と一体になれる喜び、登りきった達成感とその場でしか味わえない風。

最近、普通に街中を歩いているのに、突然、昔登った山の風景が蘇るような、自分の周りだけCG画像で背景が変わるかのように、八ヶ岳になったり四国の山になったりする時がある。
当然、そんなわけないんだけど。

せめて空想だけ感じさせてといわんばかりに、あの時の爽快な空気が湧き上がってくる。
同じなのは、“歩いている”という事実だけなのに。

山野井夫婦は、本当に子どものままに好きなことに突き進んでいる人だ。

以前、ご夫婦の講演会を聴きに行ったことがあるけれど、あまりにも“フツーの山の人”で、オーラのなさに驚いた。もちろん、山の中では別人だろうが。
「世界屈指の登山家」という称号は世間が勝手につけたものであり、本人たちはどうでもいいことのように感じた。
ただ単に、大好きな山を登り続けたい、その為にはどんなこともする。だから、世間体や常識なんて気にしない。これこそ、自由人。
生き様としてすごい事だと思う。

よく、「好きなことだけして生活できれば良いけど、人生そんなに甘くない」と言うけれど、
実はそれはそんなに難しいことじゃないのかもしれない。
2人の素朴な暮らしぶりと、山を前にした無邪気さをみて、そんな気もした。

大人になると、囚われすぎる。
前例とか、経験とかの、「そういうもんだ」に流される。

きっと、本当にやりたいことが見つかれば、その行動を抑えられないはずだから。
求めていれば、いつかきっとね。

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緑のふるさと協力隊

今年の出来事として抜かせないことと言ったら、
やっぱし、これです。

このブログを読んでくれている私を知る人でも、
私がこの「農山村長期滞在プログラム・緑のふるさと協力隊」に
参加していたことを知る人は少ないかなと思います。

緑のふるさと協力隊とは…… 
 このプログラムは、若者の生きる場所には農山村という魅力あふれるフィールドが存在することを知らせたい、都市と山村のゆがみという社会問題も捉えてもらいたい、という理念のもと始まりました。山村に興味をもつ若者を、地域活性化をめざす地方自治体に一年間派遣するものです。
 
過疎・少子高齢化と厳しい状況にある農山村は、都市生活者には未知な世界といえるでしょう。隊員たちは、その地域にしかない風土・人柄・文化を、四季の移り変わりとともに体感していきます。多くの隊員が、「こんなに気持ちよく働いて、たくさんの人に出会い、感動した毎日はない」と言うように、そのままの貴方の生き方が、派遣先の人にとって新鮮な風となるのです。
 
参加資格に、技術や経験はいりません。懸命に生きている人達と一緒になって働き、語り、生活すること。「こんな大人になりたいと思う人に初めて出会えた。ものすごいパワーある人たちが山奥にはたくさんいる」一年やり遂げた隊員がそう語るように、生きていく上で大切なことを、農山村の人たちは教えてくれることでしょう。

・・・これだけじゃ、説明不足ですが、説明の難しい協力隊について、私なりに頭を絞って書いた文章です。
この事業の主催者であるNPO法人地球緑化センターの募集要項で使ってもらいました。

一年間、農山村の自治体に派遣され、町おこしのお手伝いをするという協力隊のプログラムに参加したのは、遠い昔のこと。いろんな仕事を経験してみたい、自然を感じながら生活してみたい、まだ田舎暮らしの経験のない頃のことです。
山口県の豊田町〈現・下関市〉へ行きました。

そして、いろいろなことがあった10年後の今年、
思いがけずこの団体とつながることになります。

30歳をすぎてライターになろうと思ったのも、
山小屋の従業員となって充実した日々を得たのも、
強烈な個性派集団の無茶々園に飛び込めたのも、
山口でのこの一年があったから、それは分かっていました。

でも、その後は何度か豊田へ行っただけで、NPOの事務局にも
全然連絡を入れない状態でした。

お世話になった人がいる場所だからこそ、
自分の不甲斐ない日常を報告できない言い訳を持ち、
あの時の自分にはあった「こうなりたい姿」には程遠いことに、
せっかく出会えた出来事を生かせないことが悔しい気持ちで過ぎた時間。

いろいろな所で修行をすることで、
ようやく、恩返しの準備が出来てきたような気がします。

だから、今の私は、ライターという仕事で生活費を稼ぎながら、
ここでのボランティアがメインのような生活です。

まだ、ライター2年目のくせに、仕事とらずにボランティアしてんの?
ライターの人が聞いたら、頭がイカレテルと思われるでしょう。

それは、この団体の人の言葉が、心に刺さってしまったからかもしれません。
「私はただ、世の中のためになればと思って仕事をしてきただけ、それだけ」
今までの自分は、
ただ、自分の経験になればと、いろんなことをしたかっただけ。
それが一般的かもしれないけれど、なんだか衝撃を受けたんです。

バカみたいな話かもしれないけど、
山小屋でもう充分、と思える幸せな時間を得たんだから、
これからの人生、何かやれることがあったら自分のことを忘れてやってみようか、
妙な開き直りがうまれました。

そうやって、NPOの広報をやりながら、緑のふるさと協力隊OB会の事務局を
やる最近の日々は、
今まで自分が経験してきたバラバラなものが、ゆるやかに繋がってくる
「人生って不思議……」な毎日。
これが今年の感想。

10年後に、若い頃に経験したことと再会して、
その後の今まで経過してきた道の意味を知る。
だから今やっている役割への必然性を感じるんです。

恥ずかしながら「いい仕事してるんじゃない?」と言われるようになりました。
実際はボランティアでも、仕事ってまさにこういうことなのかな、と思います。
ヤリガイってやつ。思いがけないことです。

オリジナリティの薄い私が、さまざまな個性的な人と出会えたのも、
この仕事ってNPOじゃんか? という組織で、農業・農村の軸を捉えることができたのも、
小さな力も、志しと勢いが組み合わされば、最高のドラマが生まれる事を教えられたのも、
いろんな経験が、今の私に知恵と勇気をくれます。

苦しいこともたくさんある日常だけど、
生きているって、面白いです。

そんなふうに、私の世界を広げてくれた「緑のふるさと協力隊」。
興味ある方は、是非チェックしてください(参加できるのは、40歳未満の方ですが)。
地球緑化センターHP

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木に託された命

9月のはじめ、心揺さぶられる出来事があった。

なのに忙しさの中で忘れている自分に気づき、書き留めておこうと思う。
あまり公表すべきでない話だから、読んだ人は口外しないでいただきたい。

あるNGO団体の会議に立ち会った。

海外への植林活動の基金を設立するもので、資金提供者が来るという。
その人に、コメントをもらうことが、今回の私の仕事。

失礼ながら、金持ちがたまには環境保護団体へ寄付しようと思いついたのか、程度の意識で私は会議に出席した。

その女性は、娘さんと現れた。
会議がはじまる前、女性はおもむろに話し出した。

「すみませんが、娘は病気でして、失礼ながら席を外すことがあるかもしれません。気にしないで下さい。背は大きいのに体が弱くてね」と親子で笑う。
病気とは見えないし、二人ともあっけらかんとしている。

その女性は、資金提供に至った経緯を話してくれた。

北海道の並木道を見て感動したこと。それは自然界のものでなく、人が植えたものだから、誰かが始めなければここまで成長しなかったと気づいたこと。人は数十年の命だけれど、木はもっと長く生きつづける。将来だれかのためになるなら、木を植えたいと思った。でも、自分では無理なので、そういう団体を探してお願いすることを思いついた。

という内容だった。
もう、これでコメントが書けるな、と正直私は思った。

けれど、その会議の間に、あれ? と疑問がよぎる。
「もしや」と軽率なことを勘ぐり始めてしまった。
木を植えるというのは、もしや娘さんの命の代わり……?

綺麗でハツラツとした娘さんは、母の宣言通り2度席をたった。
戻る度、少々涙目になっていて、それでもその後は普通に話をしている。

昼食をとった。娘さんはゆっくりと食べていたものの、ホンの少ししか減っていいない。食後薬を飲んでいた。

もしかして、娘さんの病が深刻で、その命を託すつもりで、人より長く生きつづける木を植えようと思っているんじゃないか。
どうにも拭えない確信となってきた。
そんな覚悟が、母の表情から伝わるからだ。

会議が終わりコメントをとる為、私と親子の3人だけ残り短い取材をした。

掲載できる分量が少ないため、
質問は「なぜ、木を植えるという点にこだわったのか」のひとつにした。

少々回り道をして、女性はキッパリ言ってくれた。

「正直、娘の病気がここまで深刻じゃなかったら、こんな行動にはならなかったはずです。この娘は、私より早く死んでしまうかもしれない。その事実を知ったときに、何かしなくちゃ、生きつづけるものを残さないと、私が参ってしまうと思いました。木が植えられて将来だれかのためになるなら、それが生きる励みになると思いました」
うんうんと、ニコヤカに娘さんは笑って聞いていた。

まずい、と思った。
ここで泣いたら人間失格だと思った。

この二人は、涙が枯れるほど泣きつくして、新しい可能性を見つけた。
なのに、通りすがりの私が気軽に同情して泣くわけにはいかない。

これほど、必死で涙をこらえたのは生まれて初めてだったと思う。

あえて、意地悪な質問をした。
「お金の使い道として、木を植えるという選択をしたのですね?」
「だって、あるものをどう使うかでしょ? 遊びに使っても何も残らないですもの。家もボロだけど、改修して私ひとりで住んでいても仕方ない。命は伝えられてこそ素晴らしいと思うんです。娘ができなくなったことを、他の誰かがしてくれる。言ってるだけじゃなくて、一歩踏み出さないといけないと思って決断しました」

娘の命も、自分の命もなくなっても、木は残る。植えた人の名前なんて関係なく、その木が受け継がれ誰かのためになる。
命をたくされた苗木たち。

こんな考えが出来る人がいるなんて、マイッタ、マイッタ、と

ジッとしていられない程に動揺してしまう私。

帰り際、歩きながら話をして見送った。
何故か私の年齢を聞かれて、娘さんと私が同い年だと知る。
なんて言ったらいいのか分からない。

「お母さんといろんな話をしてるんですね、仲が良さそう」と私が言うと
「最近ですよ、でもよくケンカするし」と笑う。
普通でいられるのがスゴイよ。

もしかして、
彼女は、植林活動の映像を見ながら、自分の苗がこうやって大きくなる姿を想像していたのかもしれない。この基金が始まるころには、自分の病がもっと進行していることを自覚しながら。

残された時間が数えられるほどしかないのに、彼女はわざわざ山梨から出てきてくれた。まだ体力がある時に、この会議を優先したことを後から気づき、
「あるものを、どう使うかでしょ?」のお母さんの言葉が甦る。

これは、持っているものを自覚しないと言えることじゃない。
今ある命をどう使うか。
それは、生きてるみんな、同じなのに……。

この親子の潔い姿に、とてもとても心揺さぶられて、
命を無駄遣いしちゃいけない、と思わされた。

ただ、コメントを拾うつもりで出席した会議で、大切なことを受けることができた。

想いのこもった苗木たちが、多くの人の手で、
その命が受け継がれることを、切に切に願う。

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おーい、マスヤマ君

久しぶりに、同期のマスヤマ君と会った(ココで一部の人爆笑)。

もう、7年だか8年だか9年だかも分からないぐらい、久々の再会なのに、
緊張することのない自分が可笑しくて、待ち合わせの場所へ向かう途中、
笑いが止まらない。

「どうしてもキミの力を借りたい」と久方ぶりに電話をしたのに、
「ちょっと待って、いま電話が来た」と、待たされる。
携帯でキャッチなんて珍しい、と思っていると、再び話し始めたら
「全然関係ない話なんだけどさ、これから餃子食べることになったから、来る?」
とノタマウ。
(アンタ、人が困って連絡してるのに、その解決策を出さずに、餃子を誘うって……)

西日暮里だというので、興味が出て行ってみる。
なかなか、こんな機会がないと降りる駅じゃないデナー(住民の皆さま失敬)と、
妙にウキウキする。

店の外は行列。
本日サービスデーということで、並んでまで餃子を食べに人が集まっていた。
とにかく、目一杯だべるぞと意気込む他の客とは、違う雰囲気の二人がいる。
マスヤマ君だ。
あんた、全然変わらんなー、と感動の再会の言葉なく、
「何のむ?」
「ビール」
不思議な人だ。

同席した男性は、バスケのお友達だという。
ミクシィのコミュニティで知り合った仲らしい。アヤシイ。
ライター魂に火が付く。
「どんな人が集まるんですか」「試合って真面目にやるん?」
もう、昔の友人という関係性などカケラも感じない、楽しい会話が続く。

ビールが来た。
さすがに、乾杯の言葉は「再会を祝して」とかかなー、と頭をかすめるが甘かった。
「最高気温の更新に乾杯!!」
「……へ?」
問い直してしまった。そんな乾杯の言葉って……。

まぁ、
オーバー30(年齢)限定のバスケは異次元の世界であること、
バスケ後の飲み会がとても楽しそうだということ、
週末のバスケだけを楽しみに生きている人が確実にいること、
を知ることが出来た。

同席した男性に、「ちなみにお仕事は何をされているんですか?」と聞くと、
「……今、本気で答えそうになった」とドキっとしていたのが笑えた(これぞ質問力か!)。
悪徳不動産屋に勤務しているらしい。
「悪徳、をつけないとダメなんです」ってそんな真面目な顔で(笑)。

餃子を求める行列は続くものの、ガハガハとくだらないことを話しながら、
ずーっと、餃子だけを食べビールをすする。
これがビックリ、美味いのだ。
焼きたてだからか、皮がうまいのか。
これほど、単品を食べ続けたのが初めてだったので、良い経験になった。

西日暮里に降り立って、
餃子を食べ続けるのも悪くないことを知ったものの、
本当の話は、HPの作成だったから、
餃子後に、マックでアイスを食べながら説得を試みる。

「もう、他に頼む人がおらんのよ」
「それってさー、消去法じゃん。なんか納得いかないよなー」
ゴモットモ! との心の中の言葉を抑え、苦笑いをこらえつつ、
力貸してくれ、と弱弱しい声を出す。

「まぁ、なんとかするよ」
「おーっしゃ!!!」
と喜んだのも束の間だった。

翌日のバスケでケガをしてギブスとなり、自宅軟禁状態だという。

――ハイ?
オモシレーなマスヤマ君。
じゃなくって。

誰かHPを作ってくれる人いませんか?

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ウーさんのこと

来年80歳になるお友達から、暑中見舞いが届いた。

パソコンで作ったハガキをみて、息子さんに作ってもらったのかと電話してみると、
毎週通っているパソコン教室で習い、自分で作ったのだという。
「若いオナゴの先生に教えてもろうてな。お喋りしよって、なかなかエエもんで」

卯三郎翁は、奥さんに先立たれ一人暮らし。
でも、すごいパワーの持ち主だ。
毎日のようにスナックに通い飲んで歌い、山にも登り、メールもできるんだから、
たいした爺ヤン。ちなみに料理もうまいらしい。

ウーさんとの出会いは、ネパールへのトレッキングの旅だった。
それは私が仕事をやめた直後に組まれたツアーで、気分転換に参加したもの。

ネパールへ向かう飛行機の中、スチュワーデスさんの写真を撮りたがるウーさん。
そのスッチーは、カメラに向かってウインクで応じてくれた。
撮り終えたウーさんは、ポーッとした顔で、
「ありゃ、旦那は夜寝かしてもらえんでぇ……」と呟いた。
こりゃ、大変な旅になるかもしれん、私は密かに覚悟したのだ。

ほぼ初対面のウーさんは、機内で横に座った私に向かって8時間話し続けた。
オシッコは人体にとって最高の薬である。自分の尿さえ飲んでいれば健康だ、という話を。

ネパールへ着いた直後、私は食あたりをおこす。
チームリーダーに直訴するウーさんの声が聞こえる。
「あれしかないデ、飲ませナいけん」(飲まずに治りました)。

そんなウーさんが、ツアー最後になって、腹痛で動けなくなる事態がおきる。
現地の病院に一泊お世話になるというオオゴトになったものの、
自分の薬は飲まなかったらしい。

ちなみに、このトレッキングの参加直前、ウーさんは得意の断食をしていた。
常連の断食道場で、大量の血便が出たらしく、点滴を打ったというのだ。
(何のための断食や……)
そんな状態で、海外へ行き山へ登るなんて、さぞリーダーの心配の種だったろう。
こんな人がいたので、山歩きも観光も、エピソード満載の旅だった。

あきらかに変わり者のウーさんにも、長い過去がある。
戦争でシベリアへ連れて行かれ、生死を彷徨ったのだ。
ウーさんのトロくささは昔からのようで、軍隊でも散々叩かれていたという。
その姿は、水木しげるさんに繋がってしまう。

劣等兵だったために右腕を失い、それゆえ絵を描く仕事しかできず、
結果的に、多くのものを残すことになった水木さん。
今月放送された、水木さんの戦争体験を描いたドラマは、見ごたえがあった。

たった、60年前のことなのに、
全然違う生活をしている私たち。
でも確かに、その時代を生きていた人と共存している現実。

お気楽なお爺さんに見える人たちは、
私たちには想像できない地獄を生きた、消せない過去を抱えて生きている。
自分の悩みなんて、比べることさえできんと思わされる。

ネパールのトレッキングで4500メートルの頂に立ったとき、
ウーさんは人知れず泣いていたそうだ。
こんな自分が生き残り、こんな場所までやって来れたこと、
いままでの自分の人生を思って涙が出た、と旅の記録に書いていた。

ウーさんは来年、80歳記念に4度目のネパールトレッキングを目指している。
その食欲、シャレのセンス、世界中でマイペースを振りまいてもらいたい。

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